キンライサーの代表取締役 森 崇伸の起業から年商30億円に至るまでの軌跡

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> 起業から年商30億円までに至る軌跡

2度の大きな決断で年商30億円に。

代表取締役森のプロフィール

売上グラフ

家庭用の給湯器を安く販売施工 事業の特徴

戸建て住宅やマンションで、給湯器を交換するとき、大手ガス会社から購入する人が多い。
だが実は、大手ガス会社ブランドは給湯器メーカーへ製造依頼し、OEM(他社メーカーで製造されたものを自社ブランドとして提供する仕組み)販売しているだけで、オリジナル商品ではないため、製造メーカーの給湯器を買っても良い。
例えばノーリツ製やリンナイ製、パーパス製などの給湯器を買うとき、同じものを大手ガス会社から購入すると40万円で、キンライサーなど他社から買うと25万円になることもある。こうしたからくりは意外と知られていないが、製造メーカーから仕入れることで大手ガス会社より格段に安く売ることができる。
業界初で唯一である「商品10年」「工事10年」の無料ダブル保証も行い、代表の森は「生活必需品であるガス給湯器を1円でも安く提供し、1日でも早く工事完了をし、1日でも長く安心して使ってもらいたい」と、この仕組みを世の中にもっと知ってもらいたいと考える。

起業までの軌跡

幼少期に見た父の姿に「社長になりたい」と決意

森は給湯器メーカー一家に生まれた。叔母の夫が一代で築いたパーパス株式会社(静岡県富士市)は、少ないガス量で効率よくお湯を沸かす省エネ性の高い給湯器「エコジョーズ」を最初に開発した会社だった。親戚はほとんどがパーパスに勤め、幼いころから会社も仕事内容も身近だった。
小学生のあるとき、支店長だった父に給湯器の展示会に連れて行ってもらった。家ではいつも威厳のある父だが、仕事中にたびたび頭を下げる姿にショックを受けた。幼心に「親父みたいにかっこ悪くなりたくない」と感じ、このとき自分は父のようにサラリーマンにはならず社長になろうと心に決めた。

大学進学を拒否 自動車整備しになり社会人の基礎を叩き込まれる。

高校に進学し、進路選択が迫られた2年生のとき、家族に「社長になるから大学には進学したくない」と告げた。通っていた高校では生徒のほとんどが進学。両親は当然のように反対した。特に父からは良い大学に入り、就職するよう迫られた。形だけ3、4回受験会場には行ったが、答案用紙には名前しか書かずに帰ってきた。
家族からは、大学進学が難しいならと専門学校を勧められた。森はいつも、何を学びたいかと聞かれると「建築」と答えてきた。建築系の専門学校の面接も仕方なく受けた。「学校に行くこと自体がムダや」と、わざと悪態をついて落ちた。

希望通り高校卒業後は進学することなく、独立を夢見て、地元で自動車整備工場に入社した。整備士となり、社長からまず教わったのは挨拶や掃除の仕方。ほうきでごみを集めることなく散らかし、怒られる毎日。社会人としての基礎を叩き込まれ、少しずつ礼儀作法を覚えていった。
入社して2年がたち、社長が年上の部下を3人つけてくれた。初めて売上という数字を意識したとき、自分の会社があまりにも儲かっていないと愕然とした。40代のマネージャーの給与の手取りは額面で30万円ほど。将来、整備工場を生業とすることに不安になり4年で辞めた。

単身カリフォルニア一周旅行が自信に。

時間ができ、旅行に行ったことのなかった森は一人で米国のカリフォルニア州を一周することにした。英語が全く話せず、レンタカーを借りるのに2時間かかり、初めて自分でガソリンを入れた。安いモーテルに泊まり、ラスベガスではカジノを見学。所持品を狙われ追いかけられることもあった。1か月後、無事に帰国すると自信と度胸がついていた。
「ピンチはあったけど、何事もなんとかなる!会社をつくってもやっていけるだろう」。
22歳になり、高校の同級生は大学生活を謳歌していたが、ほとんど交流はなく、うらやましいとも思わなかった。

いずれは独立したいと伝えたうえで、帰国後は父の紹介でパーパスではない給湯器交換の施工の仕事に就いた。
厳しいことで知られる先輩は、同業社員の息子である森には特に強く当たった。交換の作業中、手渡す工具を間違えるとすぐに殴られ、1カ月で辞めていく同僚が多かった。現場の仕事を、同期は1年かけて覚えたが自分は半年で覚えた。独り立ちして1年、学ぶことがなくなり「独立して給湯器の工事会社をつくりたい」と社長に訴えた。「工事しかできない奴が会社なんてできるわけない」と強く引き留められた。

ガス給湯器販売施工で年商30億円を突破するまで

自宅を事務所代わりに。電話1本引きスタート

1997年24歳のとき、自宅の一室を事務所にし、資本金たった100万円で会社をスタート。電話を1本だけ引いた。子供のころから顔なじみの、父の部下から仕事をもらえれば大丈夫と高をくくっていたが、信用ゼロで思うように仕事はもらえなかった。100万円は軽トラックと工具一式を買ってなくなった。彼らの仕事場に毎朝顔を出し、会社は少しずつ信頼を得られるようになってきた。ときには「お父さんがいるからやで」と言われ悔しかった。
毎日8時から深夜1時、2時まで働いたが、月にたったの30万円しか手元に残らなかった。
以前働いていたあの自動車整備工場でマネージャーがもらっていた額と一緒だった。

1度目の賭け。「下請け」から「直売」へ舵

起業から2年。10坪程度の事務所に移り、有限会社として再出発。
パーパス下請け工事の仕事も順調に増え、工事スタッフも2名増やし、経理や事務を手伝っていた当時の彼女とあわせて4名になっていた。あるときガス給湯器を一般家庭に工事付きで直接販売する会社の話を聞くと、2時間の工事で10万円近い利益が出ることがわかった。これからは一般ユーザー向けの販売工事(直売)も始めようと決めた。一般家庭に知ってもらうために、タウンページに広告を出すと少しずつ問い合わせの電話がかかってくるようになった。なんとかして営業マンに入ってもらいたいと思い、父の部下を誘ってみた。彼には妻子がいたが、給与は月に25万円しか払えないと伝えると、「それでもいい。一緒にがんばろう」と快く入社してくれた。営業が入り一般家庭への直売の仕事は少しずつ増え、休み無しで工事に明け暮れる毎日を送ったが、下請け工事比率は未だに高く、やってもやっても儲からない日々が続いた。

起業から6年目。パーパス下請け工事が8割を占めていた。儲からないうえにいまだに仕事を請け負う際に大きな顔をされ、父と同じで頭を下げる毎日で、子どものころに思い描いていた華やかな社長の生活とは大きくかけ離れていた。思い切ってパーパスの仕事を全て切り、利益率の高い一般ユーザーへの直売に完全に切り替えようと社員に提案。少しずつ切り替えないと倒産するのではと大反対されたが、「大丈夫、通帳に500万円もあるから」と説得した。一度目の大きな賭けだった。

インターネット黎明期に注目したWEB広告がヒット

時間ができ自身も営業にまわり、集客方法について考える日々を送っていた。
2003年当時、ガス給湯器販売店でホームページをつくっている会社はなく、これからの集客はやはりインターネットだと思い、ホームページ制作を依頼した。周囲は「ネットで給湯器を買う人なんていないのでは」と疑ったが、気にせずヤフーとグーグルに広告を出した途端、見積もり依頼の問い合わせが1日に3件から10件に急増した。WEB集客に確信を持ったことで、出る利益はすべてWEB広告につぎ込んだ。

2004年。従業員も8名に増え60坪の事務所に移り、株式会社になった。
自分で考えられる全てのWEB集客をやったが、2006年に売り上げの伸びが止まった。
自身でのWEB集客に限界を感じ、ネットコンサルティング会社のペンシルに相談。
大手企業以外の依頼は断っていたそうだが、担当者が「この会社には将来性がある」と上司を説得し、引き受けてくれた。WEB事業部を立ち上げ内製化し、ペンシル協力のもと、閲覧した人の成約率を上げるためサイトを改善、SEOも上がるよう対策し、2015年頃まで売り上げが伸び続けた。そのとき学んだノウハウをもとに、今も社長自らWEB制作や広告出稿をしている。

2度目の賭け CMに1.5億円投資

その頃、以前より進めてきた収益不動産オーナー業の所有数も増え、2015年の全体の売り上げは約12億円になった。 とはいえ本業では成長が足踏み状態になり、関東に進出したもののWEB集客だけでは限界を感じてきた。ならば次はと思いついたのがTVCMだった。給湯器販売会社のCMは見たことがなく「そういうことは大きな会社がするもの」

という社員の声もあった。最初は関西で年間約1.5億円を使い、二度目の大きな賭けとなったが、主婦層をターゲットにした「安くてごめんねキンライサー」というCMは安価な給湯器をわかりやすく紹介する内容だったため徐々にウケ始めた。

しかし、テレビ局にとって、給湯器販売の大手ガス会社は大口顧客。キンライサーのCM放送後、大手ガス会社からCM再考査を頼まれ、急に「来月からは放送できない」と告げられることもあった。しかし2016年には関東でもCM開始し2.5億円をテレビCMに使い、本業の売上は順調に伸び続け、2018年の売上は約30億円になった。

5年続いた家族の看病 歯をくいしばった地獄の日々

30才のとき、高校の同級生で自分の会社の経理や事務を手伝ってくれていた彼女と結婚したが、統合失調症の彼女の母親と同居することが結婚の条件だった。3人で暮らし始めたが、経理の仕事をしながら母を看ていた妻も次第にうつ病になり、健康なのは自分一人になった。自分の会社の経営について頭を悩ませながら、2人を病院に連れて行き、決められた量を服薬しているかなど気を遣う毎日。妻と義母は「私たちは生きていても仕方がない」と一緒に死のうとし、妻は何度も薬を大量に飲み自殺未遂を繰り返した。明るい会話はなく地獄のような毎日だったが、歯を食いしばり家でも外でも必死に戦った。そのような生活が5、6年続き、義母の体調が回復し始め、次第に妻も外に出かけられるようになり、今は二人とも完全回復している。

35歳で白血病で発覚。始まった働き方改革

家族の看病が落ち着き、会社のWEB広告が軌道に乗っていた2010年の暮れも押し迫った冬。35歳の森の身に、その後の生き方を大きく変える出来事が降りかかった。ふと思い立って受けた健康診断で、自身の白血病が発覚した。精密検査を受け1カ月入院したが、急性か慢性かはすぐにわからず、死を覚悟した。
これまでは自分はおろか従業員の健康も顧みず、内勤の営業では深夜1時まで働く社員もいるいわゆるブラックな職場だったが、「もっと社員の幸せを大事にしよう」と強く思い考え方をあらためた。

1週間後に「慢性」と診断され、薬を毎日飲めば生きられるとわかったが、「これからは社員の働く時間を減らして、健康でいてもらいたい」と働き方改革を行った。例えば営業の見積もりは必ず現場に足を運んで行っていたが、もっと効率よくできるのではと考えた。問い合わせをいただいたら現場の写真を送ってもらい、電話でヒアリングしたらどうか。森が自ら試してみるとうまくいった。これ以降この方法で劇的に業務時間を短縮できた。
もちろん自分の働き方も変え、以前は徹夜で働くこともよくあったが、長いときは睡眠を10時間取る生活になった。

「自分の人生はもう一度やり直せないくらい限界までがんばった」が、これからは自分も周囲の人間も大事にして生きたいと考えている。子どもの頃に思い描いていた社長の姿には近づいたが、まだ道半ば。これからは全国に舞台を広げ、「大手以外からも安心して給湯器が買える」ということをもっと浸透させたいと目標を掲げる。人材採用にも力を入れ、男女ともに健康に働けて社員一人ひとりが力を発揮しやすい職場環境を整えていくつもりだ。

今後の経営目標

森社長のプライベートをインタビュー

理論より実践。好きな言葉は「とにかくやってみる」

WEB広告もTVCMも周囲の反対があっても意に介さず実行したように、慎重に考えずに「まずはとにかくやってみる」ことを大事にしている。
誰かの成功談も、その人だからできたことだととらえ、ビジネス書を読んで経営にいかすことも特にしていない。
自分の直感を信じながら、興味を持った人にはすぐに会いに行くことで生の情報を得てきた。

野球一筋 イチロー選手の姿に感銘

一途に野球だけに打ち込み、プライベートの噂がたたなかったイチローを尊敬している。イチローが因縁の日韓対決を制した2009年の「第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」の決勝戦。調子が悪かったはずだが、追い込まれた土壇場で決勝打となるヒットを打った。今年3月に引退したがそのときの姿に感銘を受け、ふだんから失敗してもすぐに切り替えられる性格だが「うまくいかないときにどうするかが大事」とピンチのときに思い起こすようになっている。

休日は旅行に、知らない現場で発見も。

好奇心旺盛で、週末に北海道や沖縄に旅行することが楽しみ。訪れたことのない土地に行くとリフレッシュでき、一流ホテルのサービスに触れるとここがなぜ一流でいられるのかと考える。自分が販売する給湯器は、価格だけで比較するとさらに安いものはあるが、消費者は良質なサービスかどうかを見抜くもの、と肝に銘じる。